本当に生きてるものは、授業でしか見れない

鳥取大学附属中学校 木村信一郎さん

鳥取大学附属中学校の美術教員・木村信一郎さん。木村さんは、毎日現場で生徒たちと向き合いながら、「作品との対話」というテーマで美術授業の実践・研究にも積極的に取り組んでいます。また、鳥取という地域を生かした美術教育にも関心を寄せ、教職と並行して大学院に進学し、中学校と博物館との教育連携についても考察する木村さんに、お話を聞きました。(2023.04から鳥取市立南中学校へ異動。インタビュー実施日の状況でお話をお聞きしています。)

聞き手:蔵多優美/
テキスト・写真:野口明生

インタビュー実施日:2022.08.18

記事公開日:2022.11.11

最初は、対話型鑑賞に「やるぞ」
っていう気持ちじゃないところがあって
最初は、対話型鑑賞に「やるぞ」
っていう気持ちじゃない
ところがあって
最初は、対話型鑑賞に
「やるぞ」っていう
気持ちじゃない
ところがあって

─── 美術の教員を志した時のお話を。

木村:鳥取大学教育学部を卒業して、最初は一般企業に勤めましたね。

─── おぉ!卒業後は教職スタートではないんですね。

木村:はい。そのまま教壇に立ってはいけないかなっていうのが、当時自分の中にあって。で、一回社会に出て社会勉強してからという形で。しばらく一般企業に勤めてから、教員採用になって今に至るという形です。

─── ちなみに附属中に赴任されたのはいつですか?

木村:2015年ですね。いまは勤務して8年目になります。

─── ここに、7年前に木村さんが書かれた文章[1]があって、「21世紀の美術教育の可能性を求めて」と書かれているんですけど、これは木村さんご自身の課題なのか、それとも鳥取の中学校全部での課題なのか、お聞きしたいと思います。

木村:こちらについては、鳥取県の当時の研究テーマとして、私の前任の先生が作成されて、そこに自分の考えをつなげる形で提案しております。もともと自分が美術教員を志してから、授業の展開として「作品との対話」と題して、表現と鑑賞のどちらにも通じる内容を大きく掲げました。「作ることも対話だし、作品を見て一緒に話していくことも対話」っていうような形で、今も取り組んでいるもので。

木村:美術的な知識を身に付けるとか、鑑賞の視点を身につけるとか、そういったことではなくて。社会の中で生き抜いていく力を美術をきっかけに身につけていくような、そんな教育を目指したいと。それをテーマに掲げたのがこの文章ですね。“美術教育の可能性”というのは、今もおそらくどの教員も目指しているところかなとは思います。

─── 現在、鳥取大学大学院で筒井宏樹[2]先生のゼミで研究をされてるんですよね。

木村:はい。筒井先生とは、自分が2018年に毛利彰の作品を使った対話型の授業を行った時からのお付き合いであります。筒井先生は鳥取の古くからある美術文化の研究もされていて、その鳥取出身のイラストレーター・毛利彰[3]への取り組みも大変信頼の置ける方だなと思っています。自分もその方の下で鳥取を見つめていきたいと思って、現在ゼミ生として学んでいます。

─── 毛利彰の絵を使って授業をされた時、生徒さんの反応がどうだったか覚えてますか?

木村:まず本物に触れるという点が、生徒にはすごく貴重な体験でした。作品が大量にあったので、4人ぐらいのグループに分かれて鑑賞をして、作品を見てどう感じたかを対話していくということを繰り返す。繰り返しながら、毛利彰という人の人となり、作品への思いや人生観だったりを探っていくという活動を行ったんです。生徒たちは自分が感じたことをみんなに伝えて、それを積み上げていって、一人の人物を突き詰めていく。当時の私は、対話型鑑賞に「ああいいな、やるぞ」っていう気持ちじゃないところがあって。

─── そうなんですね。

木村:やはり、何かしら知識っていう部分は必要なんじゃないかな、という。「対話型鑑賞をするなら、作品の背景はやっぱり必要じゃないかな」って思ってる時だったので(笑)。それで、「毛利彰さんはこういう歩みをしていた人で、この作品を作った時の時代背景はこうだった」っていう簡単なリーフレットを生徒に渡して。リーフレットを片手に作品と向き合いながら、生徒たちがひとつの作品について鑑賞をし、それぞれが感じたことを伝えていくというやり方で、完全なる対話型ではなくて。ちょっと予備知識を踏まえつつの対話型を実施しました。

  1. [1]2015年に開催された「第16回鳥取県中学校教育研究会美術部研究大会」において木村先生が書かれた「研究の概要」という文章
  2. [2]鳥取大学地域学部准教授。近現代美術史や美術批評のを専門とするほか、鳥取の美術文化も研究している。 https://www.rs.tottori-u.ac.jp/artculturecenter/konna_hito/tsutsui/index.html
  3. [3]鳥取県出身。油絵画家を目指し上京し、その後商業美術に転身し、イラストレーターとして活躍した。2008年没。 https://twitter.com/works_akiramori

知識は多分、身に付けるものにそんなに差はない 知識は多分、
身に付けるものにそんなに差はない
知識は多分、
身に付けるものに
そんなに差はない

─── 木村さんが対話型鑑賞というもの自体を知ったのはいつ頃ですか?

木村:えー、それはもう、教員に就いてから…そこはかとなく?

─── そこはかとなく(笑)。

木村:こう、頭の中にはあって…。ただ、どの教員もそうなんですけど、やっぱり授業って必ず評価ってものが必要になってくる。評価をするにあたって、完全なる対話型の授業展開って可能なのかなっていうことは、すごく前からいろんな先生がおっしゃっていて。自分自身もその当時、それこそ毛利彰の授業をやった時はそう思っていたんですけど。そこにはやっぱり知識注入型の教育の名残が我々にもどこかしらあって。そこを本当に変えてしまって、生徒達が自ら生み出す力、生き抜く力を大事にする為には、やっぱ対話型が一番大事だよね、と。対話型鑑賞なり、対話型の学び方というか。そこは大事っていうことに皆さんが今たどり着きつつある。私自身、今も探りながら、そういった授業展開を求めているところかなと思ってますね。

─── なるほど。今の木村さんの授業では、知識を教えるっていうことをあまりやってないということですか?

木村:そうですね、はい。あまりそこはやらないようにしてますね。この前実施した「Walk View[4]の授業についても、研究協議の時にちらっと他の先生方に「作品の背景など伝えないんですか?」と言われたんですけど。

─── 拝見しました。そうですね。

木村:ただ作品名と作者名だけは生徒に伝えるという。本当、その程度の知識の押さえしか授業ではしてませんね。

─── 作品の情報を伝える授業した生徒としなかった生徒と、年を重ねるごとに何か違いってありましたか?

木村:ちょうどこの毛利彰の作品を扱った授業をした時に、その実物に触れた対話型の授業を行ったクラスと、作品に本や資料上で学んだ生徒の比較を行いました。比較の方法としては、定期試験の問題だったんですけど、そこで差は特に出てこなかった。

─── そうなんですね。

木村:発問した内容にもよるのかもしれないですけど。特にはでてこなかったんだけど…ただ、その作品の情報などを見ていた生徒っていうのは、情報収集での毛利彰像というところで終わっていますし、作品を鑑賞した上での生徒っていうのは、その形と色とかそういうところに注目しながら、毛利彰という人物に迫るという捉え方があったので、そこの差はすごく大きいかなと。知識は多分、身に付けるものにそんなに差はないですよね。だから、そういった意味で対話型はどんどん進めていけばいいんじゃないかと。ただ、作者や作品の背景を考えるきっかけって、いつだろうって考えたら、やはり中学校、高校ぐらいの時には押さえておく必要もあるのかな。なぜならひょっとすると、そういうアプローチがあることさえ知らずに過ぎていくかもしれないので。小学校の間や、あるいは大人になってからは知識とかはいらないと思うんですけどね。

─── 研究授業を見学[5]させていただいた際に、1年生の生徒に「小学校時代にどんな図画工作の授業をしたか」というアンケートをとっていると伺ったのですが。

木村:そうですね。それこそ学習指導要領にもあるので、小学校でも鑑賞の授業はされるべきところなんですけど、「受けたことがない」または「鑑賞って何?」というのが実態で。作品を見たり、みんなで一緒に考えるなどの体験が非常に乏しいというのがアンケートの結果からは見えた。だったらなおさら、鑑賞っていうものの体験・学びを、必ず生徒には押さえてもらう必要があるな、と考えました。その一環として、「Walk View」の授業を行なっています。

  1. [4]大日本印刷会社株式会社が開発した鑑賞ツール。元鳥取大学附属中学校教諭で故・安東恭一郎氏が開発に携わり、教育現場での普及を目指した。木村さんも授業での実践を通して研究に取り組んでいる。 https://www.dnp.co.jp/news/detail/1188010_1587.html
  2. [5]インタビュー実施前、「令和4年度 鳥取大学附属中学校 研究大会」に聞き手・蔵多が参加し、木村さんの公開授業及び研究大会に参加した。https://www.chu.fuzoku.tottori-u.ac.jp/wp-content/uploads/2022/06/2%E6%AC%A1%E6%A1%88%E5%86%85.pdf
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50分の授業に収まるメニュー 50分の授業に収まるメニュー 50分の授業に
収まるメニュー

─── 木村さんとしては、今回附属中で実施した「Walk View」を公立校でも実施できるような形にして、鳥取県東部の先生たちにも広めていきたいということでしょうか。

木村:そうですね。学芸員が操作するのではなくて教員が機材を借りて容易にできるような、そういうやりやすさが大事かなと思って。美術館にはそれがやりやすくなるような体制というか、もっとクリアになるようにできたらなとは思うんですけども。例えば、現場の教員と学芸員が組んだ鑑賞開発プロジェクトとか、そんなことができたらより良いんだろうなとは思うんですけどね。他県ではそういった部分での繋がりが地盤としてあって大きく展開されている。一方、鳥取ではなかなか、その地盤がなくって…。

─── そうですね、そのイメージはあまりないかもしれないです。

木村:うーん。中学校の美術部会はあるのですが、小学校の図工や高校の美術部会との連携はあまりなくて。他県では、小中の美術連盟のような組織があって、そこに必ず学芸員なりが出向いて「じゃあ今年度こういった活動をしていきましょう」っていうようなことがあって、1年間の中でどこかの学校で連携の授業が行われたりっていうことがあるんですけど、なかなかその辺が鳥取県は…博物館からも「こういったことをやっていますよ」という活動を示されているんですけど、なんとなく一方通行な感じがして。

─── お互い、かみ合ってない。

木村:それをキャッチする組織があればちゃんとできるけど。

─── 現場で拾いきれない、みたいな状況なんですかね?

木村:多分そういうことが多くて、なかなか実施に至らないというところが大きいのかなと。だから、「コレクション宅配便」[6]とかありますよね。ああいうのも、小学校は結構やりやすかったりするんですよね、教員がそのクラスの教科を全部持ってたりするので。時間をすごく使いやすいじゃないですか。

─── でも、例えば中学校だと、それこそ木村さんは美術の授業時間だけ。

木村:そうですね。だから50分間の授業の枠で収めないといけない。そうなると出向くことは絶対にできないですし。あと、なんていうんですかね…年間の教育課程の中に組み込むことも、なかなかやりづらいところもあって。だから、ある程度「こういったプランがあります」っていうものがあれば…例えば「50分間に収まるこういうメニューがあります」というものがあると、よりやりやすいのかな?そういうところもあって、「Walk View」の授業を一つの例として、指導案なり、評価なりってところを鳥取県立博物館の教育普及担当専門員の外村さんと相談しながら作らせてもらった、という経緯もあります。

  1. [6]鳥取県立博物館が主催するアウトリーチ事業。所蔵コレクションを出前展示し、併せて対話型鑑賞を実施している。https://tottori-moa.jp/initiative/dissemination/

本当に生きてるものは、授業でしか見れない 本当に生きてるものは、
授業でしか見れない
本当に生きてるものは、
授業でしか見れない

─── 表現と鑑賞を一体化した短時間授業をされている中で、例えば50分授業の中だと「見る授業」または「作る授業」のどちらかだけとなりがちかと思うんですけど、木村さんは両方をバランス良くやっているイメージかなと、研究授業での発表を受けて思いました。

木村:例えば、毎年やってるのが『みる・なる・しる』という授業。「なる」は「作品になる」。私、森村泰昌さん[7]がすごく好きで(笑)、あの方の制作スタイルをちょっと教材化した形ですね。これはモナリザの顔の部分を外したパネルを使いながら、作品の表情を想像したり、作者の想いだったりモデルさんの想いだったりを考えていく、っていう鑑賞と、写真での表現を50分間の授業で展開します。それを学年ごとに、毎年実施してますね。そうすることによって、作品に、生徒は時間やストーリーを見出していきます。作品と向き合い対話をしていくことで自分を作っていく授業の一つとして、よくこれは前期の初めの頃の授業で行ってます。

─── 木村さんの今の授業スタイルとしては、鑑賞と表現というのが一体になっている。

木村:そうですね。

─── 表現オンリーの授業は基本的にはやらないというか、例えば大きい作品を作って完成…ではなくって。

木村:はい。

─── 例えば、完成した作品をみんなで必ず見る、というのはどうですか?

木村:どこの学校でも多分それはされていることかなと思いますし、私もそれはしてるので、特別なことではないんですけど。作品の制作の途中段階のもの「だけ」や完成したもの「だけ」だと全く意味がないかな、とは思うので。制作段階で「あっ、この人、今こういうふうに考えてこの作品に向かっているんだ」と。テーマとしてはみんな同じテーマでやることが私は多くて。なぜなら「同じテーマの中でこの人はここをピックアップしてるんだ」「自分はこうだな」「じゃあ、ここを活かせていけるかな」とか考えることができる。「こういう気持ちを作品には見出していけるんだな」とか、そういったことを考える子もいますし。途中で必ず、お互いに作品を見つめていく時間は設けるようにはしてます。それは制作途中の作品だったり、それに付随した別の作品・作家の作品だったり、様々なんですけど。

─── 生徒によっては、「途中で自分の作品を見せるのが嫌だ」みたいな子もいるかと思うんですけども。

木村:それは、そんなにないですかね。

─── あ、本当ですか。

木村:うん、「それが当たり前」としてるところもある。少なくとも私が授業っていう場所でみんなとやるからには、「個人の楽しみを授業でするつもりはない」ということを言ってます(笑)。それは自分がプライベートでやればいいことだから。ここではお互いに作品を考えていく、それが授業なんだよ、って。「見ないでください」とか「見せないでください」とかっていうのを「今これ授業だよ」っていう話をその都度しながら。

─── 授業の中で生徒の意識も積み重ねられてる。

木村:はい。自分で物事を突き詰めていく中でも、それを否定されることも受け入れながら人間って、育っていくじゃないですか。やっぱりそこは美術も同じことで。「私はこういう表現、このスタイルだからあとは知らない」とかっていうのは、「授業じゃないよ」と。そうじゃなくて、みんなで考えていく。「これは違う視点だな」っていうのを一回受け止めて、「こういった視点もあるんだな」とか、あるいは「でもやっぱり、こっち」って思うのも大事だと思うし。やっぱり人の意見を一回受け止めないと、自分の思いも突き詰めることができない。一回受け止めるっていう意味でも、お互いの作品を見たりとか、お互いの意見を聞いたりっていうことは大事にしようということは言ってます。これは美術に限らず、今はどの教科でもされてることかなと思うんですけどね。

─── この十何年の教育の違いですね。同級生から意見を受けて自分の作品を理解していくというようなことを、私は美術系の大学に通ってようやく始めたんですけど。それを今、中学校からされてるというのは、すごく良いなと思いました。

木村:そこに授業の意味があるのかな、と思ってます。だってね、鑑賞って本当、止まってるものを見るだけじゃないですか。制作過程だとやっぱり動いてる段階だし、本当に生きてるものを見れるわけだから、それができるのって授業でしかできない。そこをただの個人活動にしてしまうのは非常にもったいない。「この人こんなふうに育てているんだな」とか「こんなふうに作品が進んでいるんだな」っていうのを、お互いが見ていく。ただ、個人活動で活きる生徒もいるという考え方をお持ちの先生もいると思うんですよ。そういう考え方はあっていいと思うんですけども、生徒がこれから社会に出ていくことを考えていくと、なるべく私はそうではなくて、広い視点を持たせる活動を展開するのが美術の果たすべき意味かな、というふうに思ってます。

  1. [7]日本を代表する現代美術家。名画の登場人物や歴史上の人物、女優など、何者かになりきるセルフポートレートの作品で知られる。 http://www.morimura-ya.com/

さまざまな考えが重なって

─── 木村さんの、対話や鑑賞教育に対する現在のような考え方を作ったきっかけはあったりしますか?

木村:うーん…本当にそれは、いろんな先生方とお話をしながら…。例えば国語の先生と「文法を学ぶだけが国語じゃないよね」とか。言葉の美しさを学ぶことも、日本を知ることもそうだし、自分を知ることもそう。そこから、「美術って、ただ表現の術を知るだけ?作品を見る視点はこうだよ、ってことを学ぶだけ?そうじゃないよね?」と。教科特有の学びをきっかけに、他の学びなり考え方を広げていく。そういった意味が美術にはあるんじゃないか、というふうに思っています。決して美術家を育てるのが美術教育の目的ではないし…もちろん、美術を愛好する気持ち、っていうのを育てていくというのは学習指導要領にあるんですけど。でも美術を愛好しなくても授業をきっかけに、表現…自分を表す術、自分の気持ちを伝える術としてこういう方法があるんだ、っていうのを広げていってもらえたらなという思いがあるので。「もっと教科を突き詰めるべきじゃないか」っていうふうにお叱りを受けることも…あるかもしれないんですけど(笑)、私は、そのように考えてます。 

─── では、大学時代の時から強く思っていたということでもなく。

木村:そうですね。そう感じ始めたのはやはり、社会に出て人と関わって、教職について生徒と関わって、っていう中でですね。

─── 改めて、中学校で鑑賞教育を行っていて、木村さんが感じている良さや課題意識はありますか?

木村:それこそ今後、対話型鑑賞をもっと広くいろんな先生方が実施されること、そういう組織ができることでしょうか。対話型鑑賞は本当に生徒の考え方が変わる。作品との関わり方もそうなんだけど、周囲との関わり方が変わる、それらを立証していきながら、授業実践を広げていきたいですね。今後、より多くの先生方が実施されていったら、皆さんと一緒に考えられることも増えていきますし、実施される授業もより深まっていくんじゃないかなと思うので。

─── なるほど。

インタビューは木村さんの勤務校・鳥取大学附属中学校で実施。実は、聞き手・蔵多の母校でもあり、何十年ぶりに訪れて感動していたそうだよ。

木村:もう少し広い視点で考えると、県立博物館主催で色々されてもっとこの周辺が活発になっていくと、さまざまな方の考えが重なっていって我々の得るものもあるのかなと思ってます。何度か県立博物館主催で対話型の「あなたもファシリテーターに!」[8]という講座があったじゃないですか。終わってから学校の先生方と「いや、それって現場で使えないよね」っていう話をしたことがあったんですね。「評価っていうところでの落としどころがやっぱり必要なんだよね」みたいな話も含めて、対話型にまだまだ関心の薄い教員の方々の考え方ももっと聞いていきたい。そういう機会が今大事なんじゃないかな、と思いますね。

─── 「現場で使えない」って言うのは、具体的にどんな感じだったんですか?

木村:うん…作品を見る流れといいますか。作品を見て「この作者はこういう人だったんだ」ということを考えていく、その術を身につけていく部分が授業では大事かなと思うので、その部分がちょっと欠けてる…。ただ作品見て終わり、っていうところがその時の講座では少し見受けられたんですね。教育現場ではここの落としどころに、もっといろんなバリエーションがあるんじゃないかなと考えています。これは自分自身も突き詰めていかないといけないことですね。

  1. [8]鳥取県立美術館(2025年開館予定)に来館する小学生に対し、作品鑑賞のファシリテーションを行うボランティアスタッフの養成を目的として2021年度に実施された講座。リンク先の記事は、聞き手・蔵多が執筆した。 https://totto-ri.net/report_vts20211030/
    https://totto-ri.net/report_vts20211030-2/

美術教育に必要な連携

─── 今後必要とされる鑑賞教育・美術教育について、考えていることはありますか。

木村:美術の授業の中で展開される題材は、それぞれの美術教員が目の前の生徒のより良い学びを目指して、実施していくことは当然のことですよね。ただそこに、いま芽生えつつある学校間や博物館・美術館との連携とかが、やっぱり必要になってくる。そして、その連携がより一層高まっていくためには、やりやすさということが大事になってくる。教員たちも模索していかないといけないし、美術館・博物館側ももっと模索していくってことが、必要かな、と。双方が合致できるような、ちゃんと交われるような連携。やっぱりそこは必要じゃないかな、と思いますね。

─── 美術館連携以外の、社会的連携はどうですか?

木村:そうですね、自分が出会えたものは、なるべく自分だけのものにはしないで、他の先生方にも「こういったやり方もありますよ」と広く共有することですかね。それぞれの先生方はやることがたくさんあるので、そこを一美術教員として共有できるような姿勢っていうのは持っておかないといけないし、願わくば全体がそうであればな、というふうには思っています。授業展開についても「これからこういうふうにしていきますよ」っていうことは常に発信して。まぁ、それを、ちゃんと受け止めていただけるかどうか、というのが難しい(笑)。それこそ、先生方のご多忙感もなかなかのもので、すぐには授業を見に来られることもできないかもしれないけど、「こういうふうなことをしました」とか「こういうふうなことをやります」っていうことの発信は、常にしていこうかなと。それこそ今ある連携は、学校と博物館・美術館の連携、というよりは、個々人同士の連携っていう方が強くて。実際、連携もいつも同じ方が、繰り返されてやっていたりとかする。ただ、その方が他の場所に赴任したら、その場所では連携が始まるかもしれないけど元の場所では次の年の連携がないということが、現状としてはありますね。そうじゃなくて、引き継がれていく形が実現できていったらいいかな、とは思うんですけど。

─── 新しい美術館をきっかけにそういったチームになっていくと、良いのかもしれないですよね。おそらく新しいラーニングセンター[9]はきっといろんな人を巻き込んで、そういう機関になるように考えられてると思うんですけど、まだちょっと分かんない…。

木村:分かんないところありますね。

─── だから、どういったことなのかなっていうのはまた今度、県立博物館の皆さんにお話を伺いに行こうかなと。

木村:はい。ぜひ、教えてください(笑)。そして、一緒に考えていけたらいいですね。

  1. [9]アート・ラーニング・ラボ(A.L.L.)
    鳥取県立美術館に美術ラーニングセンター機能であり、広義のアートを対象として「アートを通じた学び」の拠点・研究室。 https://tottori-moa.jp/initiative/dissemination/

木村さん、ありがとうございました◎
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