鑑賞のクリエイティビティを掘り起こすために、エデュケーターができること

山口情報芸術センター[YCAM] エデュケーターチーム
山岡大地さん(左)今野恵菜さん(右)原泉さん(中)

メディア・テクノロジーを用いた新しい表現の探求を目指す、山口情報芸術センター・通称[YCAM](ワイカム)。展示空間のほか、映画館、図書館、ワークショップスペースを併設して多彩なプロジェクトを実施しています。そのYCAMでエデュケーターを務める、山岡大地さん、今野恵菜さん、原泉さんは、それぞれのアート体験を経てエデュケーターチームとして共に働いています。2003年の開設当時から鑑賞教育に力を入れているYCAMの方針を、どのように受け止め引き継ぎながら、いまの鑑賞教育プログラムを開発しているのか。そこに深く関わるサポートスタッフの重要性も含めてお伺いしました。さらに後半、三者三様の鑑賞に対する考えが語られる中で、今後の鑑賞教育に対する切実な思いが語られます。(原さんは、2023.04から国立アートリサーチセンターへ転職。インタビュー実施日の状況でお話をお聞きしています。)

聞き手:蔵多優美/
写真:にゃろめけりー/
テキスト:谷口茉優/
編集:野口明生

インタビュー実施日:2022.10.24

記事公開日:2023.03.31

3人がYCAMに入るまで

─── YCAMが取り組む教育普及や考えを聞く前に、みなさんYCAMで働いている年数も経緯も異なるかと思いますので、軽くお話いただけると嬉しいです。

山岡:はい、じゃあ自分から。まず、YCAMを知ったきっかけやここで働くことになった経緯についてお話しますね。僕は学生時代、YCAMにほど近い山口大学の教育学部で中学校の技術教員になるために学んでいました。当時大学の周りで遊べる場所はほとんどなくて、キャンパスライフをどう楽しもうか…と途方にくれていた時に大学の先輩からYCAMのライブ公演に行こうって誘ってもらって。そこで聞いたノイズミュージックに衝撃を受けて、YCAMでアルバイトをはじめました。当時は、広報の手伝いでYCAMの展覧会や舞台公演のCMを制作していました。なので大学ではメディア・テクノロジーについて学校現場でどう教えるかを学びながら、YCAMではそれを芸術分野に活用することの可能性を目の当たりにしつつ、その魅力やおもしろさについてどのように人に伝えることが出来るかを試行錯誤していました。大学を卒業してからは、東京のWEB制作会社で、プログラマーとクライアントの仲介役をするお仕事をしていました。それでしばらく経ったころ、YCAMから「コロガルパビリオン」[1]をやるけど、もしよかったら戻って来ない?とお誘いいただいて、2013年にYCAMに戻ってくることになりました。

今野:私は大学で、インタラクションデザインやヒューマンコンピュータインタラクションという、人とメディアの関わりを考えるような学問を勉強をしていました。
当時、私が所属していた研究室が、YCAMと一緒にプロジェクトをやっていたんですが、その内容が、触覚再現のデバイスを作り、触覚に関するワークショップをするというもので。そのタイミングでYCAMの存在を知り、面白いところだなと思っていました。
大学卒業後しばらくして、2013年に映像エンジニアという枠でYCAMに就職します。YCAM InterLabのテクニカルチームにいながら、ニューヨークのアートオルタナティブスクールを招聘する事業など、教育普及的な事業に関わらせてもらっていました。そして、2020年から本格的に教育普及の部署に移動した感じですね。

原:私は、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)のアートプロデュース学科で鑑賞教育や美術史について学んだ後、大学院に進学し、脳神経科学や認知心理学の分野から鑑賞を研究していました。芸術と哲学の面から鑑賞について学んできたけど、科学でそれを突き詰めていったらどうなるのかがすごく知りたくなったからです。ただ、科学のマナーは、誰もが同じようにやって同じ結果になる研究が優れているとされているのですが、対話型鑑賞は全然それに当てはまらない。「今ここ、その時」みたいな、そこで起こることがバラバラなので、再現が不可能なんです。ちょうどそのようなタイミングで、たまたま遊びに行ったYCAMで視線解析装置を使ったワークショップをしていたんですよ。それを見て、「おお、これ私がやってるやつや」と。アートセンターなのに、私と同じ研究してるってやばすぎる、ここで働きたいって思ったんです。当時私の中ですごい衝撃だったんですね。ここで働けたら、自分が感じていた科学と芸術の溝の部分を柔らかく受け止めてもらえそうな気がしました。

  1. [1]YCAM10周年記念祭の一環として、展示された遊び場。メディアテクノロジーを活用した多様な仕掛けと不定形な床面からなる公園型インスタレーション「コロガル公園」を、建築ユニットassistantとの協働のもとバージョンアップさせたもの。
    https://special.ycam.jp/10th/wp-content/uploads/2013/07/korogaru-pavilion.pdf

YCAMエデュケーターチーム第3世代が目指すものと
サポートスタッフの存在
YCAMエデュケーターチーム第3世代が
目指すものとサポートスタッフの存在
YCAMエデュケーターチーム
第3世代が目指すものと
サポートスタッフの存在

—— YCAM創設時、会田大也さんがいた時代を第1世代、菅沼聖さんがいた時代を第2世代とすると、いまは第3世代と呼ぶことができるかと思います。現在、YCAMのエデュケーターチームとして活動する上で、YCAMの初期のメンバーが作ったものを3人はどう捉えているのでしょうか?

インタビュー当日は、原さんが体調不良のため、現地参加が難しくオンラインを併用して実施していただいたよ。(本当にありがとうございました!)

山岡:まず教育普及にはこれまで会田さん、菅沼さん以外にもたくさんのスタッフが在籍してきたんですが、これまでの人が大事に積み上げてきたことを全否定して方針転換をするようなことはしてないです。例えば、ギャラリーツアーでは、YCAMが実施する鑑賞イベントとして、ただ知識を伝えるだけではなく、来たお客さんからどういう風に見えるかを共有してもらう形式をとっていて、これはオープンのタイミングからずっと続けています。ワークショップ等の新しいコンテンツ制作も継続して行っていますが、内容は僕らで新たに作ったり、過去制作されたワークショップも核となる部分は残しつつ作り変えていますね。

今野:そうですね。例えば、「映画を2回観る会」[2]かな。ショートフィルムを1回鑑賞した後、全員の感想を共有し、もう1回鑑賞するというものです。これは比較的初期から存在するワークショップですが、山岡さんの指導で、話したことが目に残る形でアーカイブをするようになりました。初期の方たちがやってきたことに対してリスペクトもありつつ、その在り様も疑いながらやっています。そういう意味では、同じプログラムでもそのまま続けてはいないですね。

原:うん。鑑賞プログラムを作るのは、担当者によって全然色が違って当たり前だと思いますし、何をどうしたいかによって、変わっていくものだと思っています。YCAMの場合、対話を通して、よりお客さんと作家・作品との接点が増えることを目的としたプログラムであることは間違いないのですが、その「質」みたいなものが変わろうとしているのではないかと思います。例えば、過去のプログラムの中には、感想を述べたり意見を発表したりすることで、「みんなが喋った感」が出てなんとなく満足するようなものもあったと思います。でもそれは、みんなが話したことにはなってるが、対話したかどうかはわからない、言いたいことを本当に言ってたかどうかわからない、みたいな、そういう感じになっていたことも事実です。

—— なるほど。実はインタビュー前日、ギャラリーツアーに参加した際に、アートコミュニケーター[3]の方々に、軽くお話をお伺いしました。アートコミュニケーターに関わっている理由や、やってみてどうですかという質問を投げかけてみたんですが、熱い思いをたくさん語ってくださったんです。サポートスタッフとしてやる中で、自分が関われる余地が増えた、ここ5年でYCAMとの関わり方がすごく変わってやりやすくなった、とか。そういったことは、現在のエデュケーターチームの皆さんがこの5年でやってきたことと繋がるのかなと、いまお話を聞いていて思いました。

山岡:5年というと、原さんがYCAMに来たタイミングですね。そこから現在にかけて変わったということは、ここにいる3人でおこなってきたことが、ありがたいことに影響してるのかなと思います。YCAMでは山口に住んでいる大学生や社会人、主婦や仕事を退職されたご年配の市民のみなさんが所属するサポートスタッフ(以下サポスタ)という制度があります。自分はYCAMが「ともにつくり、ともに学ぶ」をうたう上で、地元で一番身近にYCAMを応援してくれている彼らの存在を大切にするべきだと思い、2016年からサポスタ研修として少しずつコミュニケーションをする機会を増やしてきました。2019年からは原さんメインで基本月イチの研修を実施するようになります。サポスタさんからも直接、原さんが実施してるサポスタ研修で気持ちが変わったとか、クリクラボ[4]から関わり方が変わった、と言っていただくことが多いですね。

原:こういったお話を聞くことは純粋に嬉しいです。
結局、サポスタさん達を無視することは、山口のことを無視していると言えると思うんですよね。市民の方たちからよく「YCAMは何をしている場所か分からない」と言われていて、それをどうにかするために教育普及活動やPRを頑張るという図式が15年以上続いている気がします。それを変えるために、一番最初にしなければいけないのは、サポスタさんとのコミュニケーションだと私は思ったんです。
なぜなら、彼らは作品作りにも携わるし、YCAMの展覧会がオープンした際に、ずっとその場にいる人たちでもあるからです。ということは、私たちよりも作品を観ている人だと言えると思うんですよ。そして、お客さんをよく見てる人たちでもあります。

——なるほど。

原:ただ、5年やって、やっとそう言えるっていうのはありますね。1年目は本当にほとんどのサポスタさんに来てもらえなかったんです。何をやってるのか分からない、とか、やってることはわかるけど期待してない、みたいな雰囲気があったんです。「まーた原さんが好きなことを日曜日にやってますわ」みたいな見え方だったんだと思うんですね。館からもきっと「こんな小さな試みよりも、もっと大きなプロジェクトやワークショップを作ったらいいのに」みたいなことを思われていたり、言われていたりしたはずです。それでもちょっと、そこを「ごめん」と思いながら5年やり続けていて、当事者の中からそういった言葉が出てくるようになったのは、すごく最近のことだと思います。逆にそれくらい時間がかかっちゃうものなんです。

  1. [2]作品の魅力をより深く楽しむための鑑賞法を発見し、批評的な視点を養うことを目的としたワークショップ形式のイベント。ある1本の短編作品をナビゲーターによる解説や参加者同士の感想共有を間に挟んで、2度鑑賞する。 https://www.ycam.jp/events/2022/double-film-screening/
  2. [3]美術作品を起点に生み出されるコミュニケーションを重視しながら、鑑賞者同士や鑑賞者と地域とのつながりを深める存在のことであり、地域住民が参加して、アートを軸にしたさまざまな活動がおこなわれている。YCAMでの取り組みはリンク先を参照。https://www.ycam.jp/projects/yamaguch-art-communicator-program/
  3. [4]インドネシア語で「カリキュラム」を意味する「Kurikulum」と、英語で「実験室」を意味する「Laboratory」を組み合わせた造語で、これは教育に対する彼らの実験的な姿勢を示す。2021年10月30日(土)〜2022年2月27日(日)にYCAMで開催された企画展の名称でもある。 https://www.ycam.jp/events/2021/kurikulab/
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3人がそれぞれ考える「鑑賞体験ってなんだろう」 3人がそれぞれ考える
「鑑賞体験ってなんだろう」
3人がそれぞれ考える
「鑑賞体験ってなんだろう」

—— これまで3人体制の中で、様々な教育普及プログラム開発をなされてきたと思うのですが、どのように分担をされていますか?また、それぞれ鑑賞や教育普及に対してどのように考えられていますか?

山岡:そうですね。まず分担については説明するのがすごく難しいです。それでもあえてざっくり言うとすれば、自分は展覧会に紐付く鑑賞プログラムの設計を主にしていて、今野さんは主に新しいワークショップの実施だったり、展覧会自体の開発をやっていることが多いですね。原さんは鑑賞自体のプログラム設計を担当していると言えるのかな。

原:まあでも、音頭取りとして一応そういう役割をやってるって感じで、3人で一緒につくったものもありますよ。
で、鑑賞について、それぞれどういう風に考えているかってことですよね。うーん、これ、教育普及のスタッフとしてどういう心持ちでいるかの話で、そこは3人でも差があるのかもしれないですね。私の場合、理想の鑑賞というのは、誰が何を言ったとかはそんなに大事ではないんですよ。むしろ「こんなことを語らせてくる”作品”があるんだ」みたいな経験の機会をできるだけ多く作りたい。単に多くの人の意見を聞くのももちろん大事だけど「それは”作品鑑賞”なのだろうか」と思う。でも、一人だけだったら、作品から受け取る事実や要素は割と、バイアスがかかったものになるだろうとも思うんですよね。「対話型とか一回抜きして、一人で来た場合でも、良い鑑賞はできるのか。YCAMでそれを起こすとしたら、何ができるだろう」とか考えたりしますね。そのスタンスは、この3人の中で若干考え方が違うんじゃないかな。

今野:そうだね。

山岡:これは長くなりますね。

今野:ファシリテーターのことを、訳す時に、「環境係」っていう言い方をしたりするんですよ。メインで進行することが実務としては多くなるけど、それ以上に、場や議論を盛り上げるとか落ち着けるとか、より良い環境を作っていくのが環境係の仕事である、みたいな言い方もされていて。アフォーダンス[5]とか設えみたいなものの中に、サポスタさんという存在が含まれていると考えてるので、私の興味はコミュニケーションに寄ってるんだと思います。

原:そうですね、今野さんはディスカッションの場の設計をしたいんだろうなって。だからYCAMとすごく相性がいいと思ったりするんですよね。

—— なるほど。

原:サポスタさんとのやりとりの中で毎週レポートを書いてもらっているんですが、いい鑑賞とか、いいファシリテーションってなんだろう、っていう話をしてる人が多いんですね。これ、主に対話型に限ったことではあるんですが、私はワークショップでも同じことが言えると思ってて、参加者の中で「妥協ではない合意案って何なんだろう」って考える人が出てくる。
確かに、みんなの意見を平均してたら、何となくそれっぽいファクト[6]に近いことが出るけど、それでいいのであれば、ワークショップとか対話型のイベントじゃなくても、アンケートを取ればいいですよね。何で鑑賞とか、みんなで集まらなきゃいけないのか、みたいなところだと思うんですがね。

山岡:うんうん。

原:みんなと一緒に時間を過ごすんだけど、結局は最後に実施者によって用意された「実はこの作品は何々なんです」って言うための一連の作業が鑑賞教育だと思われてるかもしれない。複数人と鑑賞する場で実施者に重んじられてきたのは、一行目でも二行目でもなく、一番最後にどんなことを教えるか、解説するかだと思われているんじゃないかな。私が思う鑑賞は、最後合ってるか合ってないかも分からない、誰もまだ言ってないことかもしれないけど、今日、この場で「ここで全員で作品について考えたことは少なくともこういうことだった」っていう意味づけだと思うんです。そして、それを作るために不可欠なのが、コミュニケーターとか市民って言われるような周りの人だったりもするし、私たちのような、教育普及スタッフでもあると。このような意味づけをしないと、YCAMが出来上がらないと思ってるくらいです。

今野:今の話にすごく同意しつつ、多分原ちゃんが私に感じてる自分との違いみたいなのは、私は最終的に広い意味でみんなにこれを作ってほしいですね。
他の人の見方を知った時にちょっと違う見方が見えたりとか、その人のストーリーの中に少し組み込まれるみたいなことを、鑑賞のゴールみたいに思っています。クリエイティブな鑑賞って言った時にもちろんその場で起こっていることのクリエイティビティも指すんだけど、その後に影響するとなお良い。

山岡:そうだね。原さんが話してくれたのが鑑賞真っ最中のその場で起きうること、今野さんが話してくれたのは、それがどう日常の中に影響を及ぼすかという話なのかなって思いました。YCAMはR&D(研究開発:Research & Development)をうたっているんだけど、それは作品をつくって終わりではないと思うんだよね。つくられたものを他者である市民や、鑑賞者が受け取ったときどのように反応するか、あるいはどんな反応をどれくらい引き出せるかを設計するのが教育普及の醍醐味だと思います。

今野:そうだね。だから「楽しかった」は全然いい感想なんだけど、「楽しかったというよりは、不和や不調、違和感みたいなものを残して終わった方がいいんじゃないか」って常々思ってるのは、傷つけるわけではないけど、その人のなかで何かが残ったりしてほしいっていうことを自分は大事にしてるんだなと思います。

原:今野さんはさ、何をするために、ものづくりをしてるの?

今野:こわい(笑)。でも、これはすごい本当に余談になっちゃうんですけど、前にワークショップでポテト作った子いたじゃん?

原:はいはい(笑)

今野:私あれ、ああいうのを見るために生きてるって思う時があるんだよね。
蔵多さんに説明すると、電子工作キットをつかった、なんか簡単なプログラミング学習ができるワークショップだったんですが、ファブラボ山口[7]さんが主催で、YCAMが少し携わってたプロジェクトがありました。それに中学生かな、学生さんたちが参加していました。正直、やる気がまちまちというか、すごいやる気ある子もいれば、何したらいいだろうって戸惑う子もいたんです。その中で、原ちゃんのグループに、ちょっとモチベーションが分かりづらい女の子がいて、で、その子が最終的に作ったものが、あのマクドナルドのポテトが揚がった時の音が流れながら、光ったポテトがせり出してくるっていうものだったんですよ。

—— ははは(笑)。めっちゃ面白いですね!

今野:なんで作ったの?って聞いた時に、「ポテトが好きだったから」って答えたんですよね。この子がどのぐらいポテトが好きか、まだ言葉にならない想いみたいなものが、たくさんの人の見える形でそこに存在している。要は、その子が、やる気のなさに折り合いをつけ、なんとか自分が好きなものを見つけて、結果的に割とその場できちんと受けるスキル、想いの発露みたいなことができてる状況に猛烈に感動しました。そういうことのために、ものづくりと呼ばれる言葉は存在し、作られたもののクオリティーは関係なく、漠然としたものから、自分とか周りの助力で何かを拾い上げ、形になって共有できるものになるみたいなこと。私はそれに強い執着を感じるから、ものづくりをしてるって感じですね。

原:なんか魔法?か何かなの、ってなる時あるよね。

今野:ある!ポテトの瞬間はかなり魔法だった。
この「魔法」とか、山岡さんが「その場で」って言ったことは、再帰性がないみたいなことと紐づいている気がしています。作品を見ててもどうしても、100%理屈じゃ持たないみたいなのが、たくさんあるなと思うことがよくあります。もちろん、そこまで至るには理論や積立とか、準備みたいなものが存在した上で、どっか一箇所は理屈じゃない部分が、毎度存在する。それ故に、再現性みたいなものからはちょっと遠い存在になったりするんですね。

原:ああ、わかった。今野さんのような人が、何故YCAMに集まるのか。
理屈でわかってしまう時って、過去に見たことがあるからだと思うんですよ。それって言いかえたら、新しくないこととも言えますよね。そして、「光るポテト」みたいな、まだ誰も言ったり見たりもしてないんだけど、でも作る人が現れる、そういうことが起こる。まだ見たことのない事象を作るとか、これから起こりうることを提示していくみたいなことが、ひとつYCAMの活動のミッションにあるのかもね。そこを大事にしてる人が多く職員として在籍してる。

  1. [5]「与える・提供する」という意味を持つ「afford」を元にした造語であり、「人や動物と物や環境との間に存在する関係性」を示す認知心理学における概念のこと。アメリカの心理学者、ジェームス・J・ギブソンによって提唱された。学習まんが「アフォーダンス」もある。 https://ekrits.jp/2015/09/1808/
  2. [6]実際にあったこと。事実。
  3. [7]山口県山口市の道場門前商店街にある「3次元プリンタやカッティングマシンなどの工作機械を備えた、誰もが使えるオープンな市民制作工房」。株式会社アワセルブスが運営している。https://fablabyamaguchi.com/fabcharter/

今後の鑑賞教育に望む、切実なあれこれ 今後の鑑賞教育に望む、
切実なあれこれ
今後の鑑賞教育に望む、
切実なあれこれ

—— YCAMの活動や各々の活動もあると思いますが、今後の鑑賞教育や芸術美術のものの見方や在り方がこうなったら、もっとよりよくなるのにと思うことがあれば、最後にお聞きしたいです。

山岡:はい。これまでYCAMでは色んな鑑賞プログラムをやってきていて、それこそ浅く広く、参加者がそれぞれ話して解散、みたいなプログラムも多々あったと思います。今後はもっと、ひとつの作品について参加者のみんなと一緒に掘り下げ、深めるプログラムを増やしていきたいなと思っています。でも一方で、必ずしも作品の味方について深めることだけが、鑑賞者が求めていることとは限らないとも思っています。他の人がどう思ってるかを広く知りたいって人もいるし、この作品についての見方をもっと深めたいって思ってる人もいる。両方の機会を担保したり、あるいはそれぞれのモチベーションを持っている人に提供するプログラムをあえてシャッフルすることも新しい反応が引き出せるかもしれないと思っています。

今野:私は、YCAMの事業として取り組むこともそうだし、例えば、自分が小中高でどういう美術教育を受けてたら、鑑賞の解像度が上がったのかを考えた時に、作家至上主義みたいなものからちょっとずれられるといいなぁ、みたいな気持ちがあります。それって結構、YCAMができる部分なのかもって思ったりしたんですね。決して、アーティストを貶めたいみたいなことではなく、アーティストも同じ人間であり、「鑑賞」とか「受け取る」みたいなことが既にクリエイティブなことであるってことを、提示できるような気がしていています。それは単純に、作家ともっとコミュニケーションがとれるようなものでもいいし、もちろん鑑賞のクリエイティビティをもう少し推し進めるみたいな内容でもいい。そういう事を通じて最終的に、作る人も作らない人も、その自分の中のクリエイティビティを容認できるような状況ができると、学校教育でも、鑑賞に関して面白くなるかなって思いました。

原:まだまだ短いけど、自分が5年間やってきた手ごたえとしては、「ものすごく時間がかかる」。それを多くの人が、前提として思ってくれたらいいなと思います。急かされることによって、おかしくなることがすごい増えてる気がしていまして、それは例えば、「明日結果がわかるくらい動員を増やしてください」も多分そうだし、「1週間で何かが変わるプログラムを作ってください」もそうだし。そもそも教育は複数年かけて行なわれることだと思うのに、こと鑑賞、こと美術となると、何故その美術館を出たあとに、すぐ成果が求められるんだろうと思うことはよくあります。ファシリテーションの技術も短時間で取得できるものではないと思うこともよくあるんです。学ぶほうも実施するほうも時間がかかるということが、少しでも多く知られていたら、プログラムの作り方に余裕が出て、無茶しない。

—— いや、聞いてて、すごくいいな、その通りだなと思いました。

原:切実な思いですね、これは。
のんびりどっしりと鑑賞教育と向き合ってくれる人が増えたらいいなと思います。

「地方だから」と言えることと、そうでないこと 「地方だから」と言えることと、
そうでないこと
「地方だから」と
言えることと、
そうでないこと

今野:そういえば、地方だから、というような話はでなかったですね。

—— フォローありがとうございます(苦笑)。

今野:しなかったのは、自然な気がしています。普遍的な話ができたんじゃないでしょうか。

山岡:原さんは福岡出身で、今野さんは神奈川出身、僕は島根出身です。地方や都市圏に関わらず、鑑賞の体験についてはみんなでもっと語れることがあるし、その体験をするのはどちらも人間である限り必ずしも地方や都市で実はあまり差はないのかも。

今野:差異はあるかもしれないけれど、ただ私たち3人の興味があることを中心に捉えるとほぼ差異がなく、だからこそ、そこまで話題に出なかったのかなと思いますね。

山岡:うーん。けどあんまり差はない、ってすごい雑な言い方しちゃったかもな。体験の連続性は、やはり差があるかもしれない。

今野:いやでも、わかんない。私やっぱりあんまりない気はしますよ。でも、都会に行けば行くほどもっと早く成果を求められる印象があったりしますね。東京と比べた時に、仕事の速度が早いっていう話を聞いたりすると、今私たちがいる場所は、情報に触れる機会が少ない代わりに、もしかしたら時間的にゆとりが取りやすいかもしれない。それを踏まえた上で、「都市部だと有利」とか「地方だとできない」っていう事に違和感があります。

原:うーん、そうですね。私は、表現活動に携わる仕事という以前に、美術に触れる機会や美術教育を受ける機会は、絶対にまだ差があると思います。私は福岡都市部の出身ですが、福岡に、というか九州に美大はないんですよ。デザイン専門学校や制作系の学科とかはあるんですが、美術大学っていう機関は無かったりする。漠然と東京とか関西にでないと受けれない印象があって。Youtubeで見れるし学べるかもしれないけど、本当にそれが同じ質かと言われたらそうじゃなかったり。複製技術であればいくらでも美術作品にふれることはできるけど、美術館に行くことときっと同等ではない。美術館に行ける人の方がいいだろうなって感覚がまだある状態では、「インターネットあるから良くない?」みたいな意見は、少し違うかなって思ったりしますね。まだ美術館は、文化的な、ゆとりのある人に開かれた場所だったりしますし。

今野:多分、経済格差の方が影響してる気がしています。原さんが言ってくれた、未だに美術館にゆとりのある人に開けた居場所というイメージは、多分変えなきゃいけないことだと思いますし、そういう要素はあまり関係ない状況になるのが理想だなって思いますね。そしていま、関係なくなりつつあるんじゃないですかね。

—— 関係ないっていうのは?

今野:美術館で起きてることだけが、アートかっていうところですね。「美術館にアクセスできないこと=鑑賞教育を受けられないこと」ではなくなっていくといいな、と思いますね。

山岡:鑑賞に対するそもそものスタンスとか認識について、原さんが言うような、どういうマインドで作品と向き合うかということとか、今野さんが言うような、地域に差がなく広まっていくこととか、そんな風になっていくと盛り上がりそうですね。

原:わかります。美術館から発信されているものだけがアートなのかっていうのは、去年のクリクラボの招へいアーティストであるセラムの話に繋がりますね。セラム[9]は、美術館発ではないというか、ドロップアウトしたストリート発みたいなところがある。もともと彼らは美術関係者や美術教師を目指していたんだけど、さまざまな事情によって諦めなきゃいけなかった。そんな彼らによるコレクティブな活動だった。どうして山口市でその活動を一緒にするのか、YCAMで展開しなければならなかったのかという背景を、見落とさないようにしないといけない。そして、このプログラムは東京でやったら絶対同じ形にならなさそうだとも思った。それはまさに、今野さんがやっているオルタナティブ・エデュケーション(2023年夏以降発表予定)の形がものすごく深くリンクすることだと思う。だから、今野さんのその疑問というか、もう少し釈然としない感じは当然だし。それをもっとゆっくり聞けたら嬉しいんだけど、これからリサーチを経て、オルタナティブ・エデュケーションの何かの成果として出てくるはずだと思います。

山岡:刮目せよ!ですね。

  1. [9]インドネシアのジャカルタを拠点に活動するアーティスト・コレクティブ、セラム(Serrum)のこと。 https://www.ycam.jp/events/2021/kurikulab/

山岡さん、今野さん、原さん、ありがとうございました◎
3人がそれぞれ考える「鑑賞体験ってなんだろう」

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