なんだこれ?!サークル発案者 岩淵拓郎さん(左)
なんだこれ?!サークルとっとり 水田美世さん(右)
歴史に残る表現者たちを「パイセン」と呼び、さまざまな表現手法のエッセンスを知ることをきっかけに互いの「なんだこれ?!」なアイデアを発表し合う。そんな子ども向けのワークショッププログラム「なんだこれ?!サークル」の発案者である編集者の岩淵拓郎さんと、現在鳥取で「なんだこれ?!サークルとっとり」を展開する水田美世さんにお話を聞きました。
聞き手:蔵多優美/
テキスト・写真:野口明生
インタビュー実施日:2022.07.01
記事公開日:2022.11.11
─── なんだこれ?!サークル発足の経緯と、どうして鳥取ですることになったのか、伺えたらと思うのですが。
岩淵:大阪を拠点に子ども向けのワークショップや体験型アートプログラムをアーティストと作って学校や公共文化施設で実施している「タチョナ」[1]ってグループがあるんです。2014年に、タチョナから「何をするか決まってないワークショップを考えて欲しい」という依頼が来たのが最初のきっかけです。依頼自体がトリッキーというか禅問答みたいですけど、僕自身その問題意識にすごく共感できたんですよね。そもそも一般的なワークショップって、時間が2時間とか長くて半日と限られていて、場所や環境も制限される。そんな中で、アーティストが行なっているようないわゆるクリエーションなんか起きるわけないと(笑)。
─── ふふふ。
岩淵:あと、「自由に表現してみましょう!」みたいなことよく言うけど、、それはおっきい画用紙を用意して「ここに自由に絵を描いていいよ」程度の自由でしかない。それは全然自由じゃないよなと。それで「何をするか決まってないワークショップ」って聞いて、すぐに「はいはい、わかります」ってなったんです。ただ、何をするか決まってないって言っても、何かしらの方向性はいるじゃないですか。子どもを集めて「はい、じゃあ勝手にやって〜」って言うわけにもいかない。それで、編集者という立場で、つまりアーティストじゃない立場で、どうやったらその方向性を示せるかなと考えた時に、教科書があったらいいなと思ったんです。小学校の算数を数学者じゃない人が教えられるのは教科書があるからで、教科書さえあれば今はアーティストじゃない自分でもアートのワークショップができるんじゃないかなと。そういう流れで16ページくらいのハンドブックを作って、それをもとに最初のワークショップをやりました。それが結果的にすごくうまく機能して、僕自身もすごく楽しくできた。その時は大阪府の事業としてやらしてもらったんですけど、そこからご縁があって他の町でもやらせてもらったり、海外でもやらせてもらったり、いろいろ機会に恵まれて……というのが、なんだこれ?!サークルの生まれた経緯です。で、鳥取ね。
水田:鳥取で始めたのは、そもそもは鳥取県立美術館の問題があったんですよね。県立美術館はラーニングセンターを併設するっていうことが謳われてて。ただ、ラーニングセンターでは小学生への対話型鑑賞での鑑賞教育に力を入れていくことぐらいしか具体的には決まってない、という話を聞いて。県立の美術館ができるのに小学生だけが対象。「他の人はどうなるんだ?」とすごく気になった。人生100年と考えると、学校に通ってる期間ってすごく短い期間で、対話型鑑賞だけにとどまるというのは何か違うんではないか、と思っていて。それで、なんだこれ?!サークルの話を岩淵さんから聞いて、すごく面白いなと思いましたね。美術とは言ってないけど、美術が美術たる所以みたいなものをしっかり説明しているサークルだと思うんですよ。やってみたいと思ったし、あわよくばラーニングセンターとかで広い人たちを巻き込んで一緒に出来ることの一つになればいいなと思って。それで鳥取でやりたいと岩淵さんに声をかけた感じですね。
─── ちなみに水田さんと岩淵さんが関わるようになったきっかけは?
岩淵:「+〇++〇」(トット)[2]!
水田:「+〇++〇」を始める時、とりあえず「メディアを作ろう」っていうのだけは決まってたけど、私もメディアってそんな作ったことないし「どうやるの?」って困って(笑)。そんな時に、蛇谷りえさん[3]が岩淵さんを紹介してくれたんですよね。
岩淵:多分そうだと思う。
─── じゃあ、そこからの付き合いだと、もうお2人の関係も結構長い。6〜7年とかそのぐらいなんですね。
水田:ありがとうございます。仲良くしていただいて。
─── 鳥取のなんだこれ?!サークルって始まってから何年目ですか?
水田:2019年からですが、実際に事業に着手したのはこの1年とかです。それまではプレ事業というか、鳥取県内の理解者、賛同者を増やす活動をしていました。
岩淵:水田さんと、どういう形がありうるのかっていうのを考えながら、その時使わせていただける予算の中で、「じゃあ今年度はこれやりましょう」とかってやってきて。ようやく動き出したのがここ数ヶ月みたいな、そういう感じですよね。
水田:サークルはやっぱり、究極的に言えば個人で作っていかなきゃいけないんですけど、そこに持っていく難しさっていうのがありますね。
─── それは、どういうことですか?
水田:サークルのメンバーとして、結局自分で作らなきゃいけないし、作るものも自分で考えなきゃいけないし。一応発表の場はあるんだけど強制するものではないので、制約を持たせていない分、難しさはありますよね。
岩淵:なんだこれ?!サークルのことを端的に説明する方法はいくつかあると思うんですけど、その一つが「個人から出てきた表現を介したコミュニケーション」。これに徹底的に軸を置いているんです。例えば、みんなで大きな画用紙に絵を書いて「あ、なんか出来たね」じゃなくて、「これ、俺の作品」みたいなことをそれぞれが持ち寄って起こるコミュニケーション。これが子ども向けにしてはものすごく大きな特徴だと思う。逆に言うと、作品を介さないコミュニケーションは、場所と時間を共にして仲良くなる。なんだこれ?!サークルでは、そこに全く重きを置いてないんですよね。どうでもいいとかじゃなくて、「それはまあ、起こるんやったら勝手に起こるよね」っていう。良くも悪くも正直。むしろ、それぞれの表現を介したコミュニケーションというのが、結構強めにこの中にコンセプトとして埋め込まれてる。その状態にするのが、実は結構難しいんですよね。難しいよね?
水田:難しいですね、はい。
岩淵:別に「このフォームで!この雰囲気を守りながらやって!」みたいなことは、私はあんまりないんですけど。ただ、なんだこれ?!サークルって何?って言われたら、基本はやっぱり、それぞれの表現、何か自信を持って「これです!」って言えるような、それを作品と言っていいと思うんですけど、なんだこれ?!を通してのコミュニケーションというところにかなり重きを置いているので、そのことの難しさみたいなものは絶対あると思います。
水田:今は「ちいさいおうち」という場所を部室として、月一で開くっていうことはしていて。当初は各自が作ってきたなんだこれ?!を持ってきて、それを見せ合う時間にしようと思ったんですけど、なかなかやはり難しくて。で、今はメンバーが「こういうのやりたいんだ」というのを提案してもらって、それをメンバーもメンバーじゃない人もとりあえず一緒に作る、みたいなのをやり始めたところです。こないだは部屋の中にたくさん紐を結んでいくというのをやっていて。
岩淵:面白そうでしたね、あれね。
水田:はい。とりあえず部屋の中は紐でいっぱいになったんですけど、もうちょっと外まで繋げたいっていう意見もあって、あともうちょっとだけやろうかな。
岩淵:今、紐が、縦横無尽になって。
水田:こんな感じでみんな、こう。(張り巡らされた紐をくぐる動作)
─── あははは(笑)。
水田:キッチンに行ったりトイレに行ったり。ふふ(笑)。
岩淵:なんか良いとか悪いとかそういうことじゃないんですけど、まあ、全然別にいいと思いますよ。じゃんじゃんやって下さい、じゃんじゃん。
水田:じゃんじゃん(笑)。いっぱいやらないとね。
続きを読む: 鑑賞と表現が、もっとセットであればいい|岩淵拓郎さん 水田美世さん岩淵:美術にこだわってるわけじゃないんですけど、広くアートの文脈のなかでしか出来へんことって何やろう?って考えた時に、答えの出し方は決して一つではないと思うんですけども…そこでしか出来ないことを思うと、自分なりの答えとして「作品を介する」っていうのはあるなって。それでしか出来ないことがあるからやってると思うんですよね。逆に言うと、ちいさいおうちの中で紐を張り巡らすっていうことが、他の文脈で可能なのかどうかみたいな話ですよね。簡単に言うと、子どもたちがいま観てるものはYouTubeで、彼らがやりたいものはすごくYouTube的なんですよね。YouTube的なことをしたがる子が多くって。でも、これはなんだこれ?!サークルでも結構難しい判断を迫られる。メントスコーラ[4]的なね。それがなんだこれ?!と言われれば、「まあ、確かにね」っちゅう話なんですけど。コーラにメントスを入れてぶしゅーってなるのを「はい、それじゃあ、アートですよね」「えええ??」みたいなことになるんで。そういう意味では、なんだこれ?!サークルは結構ハッキリと明言化してて、とにかく作ったもので「なんだこれ!?」って言わすんだ、ていう。
─── うんうん。そうですよね。ハンドブックにも書いてますね。
岩淵:言わしてないものはダメ!っていう(笑)。言わなかったらもうそれは成立してない、かなりハッキリとした方向性を示しているので実はそんなにブレないんだけど。
水田:そうですね。真剣に見るっていうのが。
岩淵:ああ、これね。
水田:「鉄のおきて」がありますけど。これはかなり大事というか。なんだこれ?!サークルがYouTubeと違うところじゃないですかね。
岩淵:そうですね。消費されないっていう。
─── 消費されない。
水田:そうですね。誰かをこう、楽しませるためではないっていう。それぞれの人にとって、どういう意味があるのかみたいなところを考えていく必要がある…と謳ってますよね?これ。
岩淵:「1. しんけんにやる しんけんに見る」「2. まねをしない、でも参考にする」「3. きずつけない きずつかない」みたいなね。まあでもこの1個目ですよね、ベースはね。今日の話はここ。「しんけんにやる しんけんに見る」…うーん、今回の鑑賞みたいな話でいうと、子どもの表現を鑑賞の、もうちょっと踏み込んで、批評の対象にしてはいけないっていう風潮があるのではないかとずっと思っていてですね。
水田:ああ。
岩淵:うん。それは実際あんまり許されないんですよ。
水田:子どもの作品を批評の対象とすることが、ですよね。
岩淵:うん、そう。例えば、大人がなんか描くじゃないですか。犬の絵が描いてあって「これは犬に見えるけど、ショートケーキだね」っていうことは可能なんですよ、大人の作品っていうのは。でも、子どもの作品はそういうふうに触ることが、実はあんまり良しとされていなくって。もっと言えば、要は作品を介したコミュニケーションの一番いいところって「互いの空気を読まなくていい」っていうこと。だから批評が成立するんですよ。表現と批評ってすごい別物で、でも間に作品があるから成り立ってる。適当に撮った写真が「これはもうめちゃくちゃ反戦ですねー」とか言えるわけじゃない。でもそれでもいいわけですよ。ただ、子どもが作った表現を批評の対象にすることは、あまり良しとされない。むしろ「本人がどう思って作ったか」っていうことの方が大事にされるんですよね。偏った見方かもしれないと思いますけど、アートが作品を介したコミュニケーションだとしたら、そこには表現と批評という関係が成り立っている。でも一方で、子どものものを批評してはいけない、っていうことがあるとしたら、それは「子どもにアートは教えられない」っていう話なんですよ。で、何でそういうややこしいことが起きてるかっていうと、アートっていう言葉を使うからなんですよ。
─── なるほど。
岩淵:アートっていう言葉を使うとそこに表現と批評みたいなすごくややこしい二項対立が出てくる。だからアートっていう言葉をどうやって使わないでアートっぽいことが出来るか、ってなった時に、色々考えて「あっ、そや!『なんだこれ?!』って言おう!」みたいな。ベースはそうゆうことです。だから、「なんだこれ?!」と言うことによって、サークルの中では「アート」も「表現」も、「批評」とか「鑑賞」という言葉すらも使わないんですけど、それらがものすごく普通に入ってくるんですよね。誰かがなんか考えてきて、「じゃあやってみ」って言ってやって、「どう思う?」「これ、なんだこれ?!に見えるかな?」「うーん見えへん」みたいな(笑)。それがアートとか表現とかっていう言葉を使いだすと、もうちょっとシリアスになるというかね。まあそういう問題意識もすごくベースにあって。
水田:ちいさいおうちは、表現活動だけをする場所ではなくて、どこにもしっくりくる居場所がないような未成年の人が来れる所として開いてきていて。私の両親が中心となって始めた「子どもの人権広場」という団体の活動の柱の一つとなっていて、居場所づくりは1998年からスタートしています。長くやってると、昔、小学生とか中学生だった人たちが大人になっても来てくれるんですよ。新しく来た小さい子たちの世話役みたいになってくれて。そういう居場所として、まずは絶対外せないポイントがあるんですよね。なんだこれ?!サークルは、それをやることでさらにハマる人がきっと出てくるだろう、と思ってやっていて。今、子どもの貧困問題ってありますけど、思想的な貧困もすごくあると思うんですよね。
─── うんうん。
水田:自分の子どもが小学生になって感じたのは、やっぱり日本の学校って、極端な話、軍隊みたいだなって思うんです。個人としてではなく集団として扱われてしまう。まず集団生活ができるようになるっていうのがベースにあって、「自分はこうゆうのが好きなんだけど、どうかな?」というのが二の次になっているようで、受け皿の乏しさを感じます。本当はもっと人それぞれの好みや興味って全然違うはずなんですけど、それを示す場がほとんどないじゃないですか。自分の過去を振り返ってみても、大学生になってからようやく「あ、自分こういうの好きだったんだ」みたいなことが発見されていく。がんじがらめにされていたところからパッと解放されて、自分の本当に好きなものを探していく時期が多分それぐらいだった気がするんですけど、でも「そこまで、なぜ我慢させられていたんだろう?」って。日本が考える教育の悪いところというか、今の教育の限界をすごく感じていて。で、なんだこれ?!サークルの話に戻ると、誰にも褒められない、誰にもいいねと言われない、誰も共感しないであろうことってたくさんあるけど、サークルでやると、それが真剣に見てもらえて、受け止めてもらえて、コミュニケーションのツールにもなっていくのがすごい素敵だなと思う。大事な場所になっていくだろうなと思った。だからやってる感じですね。ちいさいおうちであえてやるのがいいかな、と思って。
岩淵:僕が多分、鑑賞教育をよくわかってないんですよ。子どもの時に何か面白いものを見たら、やりたくなるじゃないですか?例えば、うちの姉貴が色々音楽を教えてくれたんですけど、ベッドの上で飛び跳ねてエアギターみたいなことをやるわけですよ。で、なんか見てたらやりたくなるんすよ。それはもう、「うぉ、ええなあ〜!」と思ったらやりたくなる。友達がやったイタズラとかもやりたくなるし。それは人によってはサッカーかもしれない。どんなものも、プレイする側と観る側の両側面があると思うんですけど、それって結構繋がってるんですよね。で、「鑑賞」という受け手の部分だけを取り出して「教育」っていう一つのジャンルが出来てるのって、美術だけなんじゃないですかね。
─── うーん。
岩淵:結構あんまりその意味が僕もよくわかってない(笑)。サッカー好きな人って、観ながら、もう自分がそこに立ってるようにそれを観てたりするじゃないですか。「いやそれはそっちやろー!」とか言って。
水田:いますよね(笑)。
岩淵:すごいその…繋がってんすよ、多分。実際サッカーやるのも好きな人も多いでしょうし、まあ必ずしもそうじゃないと思うけど。「すごいサッカー好き、俺、するのも好き、観るのももちろん好き」みたいな人って、すごいええなあって思うんすよ。その人の人生の中にちゃんとサッカーがあるなっていう気がするんですよね。で、そういう視点からすると、鑑賞教育っていうのは、すごい不完全な感じがあるんですよ。それでこの、なんだこれ?!サークルのこの本ね。我がが作った本を我がで褒めるのもあれですけど、これ自分でやりたくなるんですよ。やりたくなる仕掛けをここに作って、本にしてるんですよ。この本のリファレンスを選ぶ時に、例えば「紐にぶら下がって、絵を描く」とか。
─── ふふふ(笑)。
岩淵:でも、「これの見方を!」って言われたら、「ええええ」ってなるじゃないですか。「いや!っていうか、やらせろや!」みたいな。やるのにお金がかかったり準備がいるものも、ちょっと違う方法・やりやすい方法でやってみたら、みたいなことがこの本で。だからリファレンスを選ぶ時に、「やりたくなる」っていうことが一つの軸だったんですよね。今時のその作品って、すごく大きなコンテクストでやってる作品もいっぱいあるんで、どうしても昔のプリミティブな作品を扱うことが多くなってしまうんですけど。「わ!おもろ!やりたい俺これ!」ってなるような作品を選び、そこにアシストする言葉を添える。で、それをやる。なんだこれ?!サークルでは、やると、それは見られるんですよね。見られて、「それはなんだこれ?!になってるかなあ」とか「めっちゃ面白い」とか「なんかわからんけどドキドキした」とか。「ゴミみたい」とかね(笑)。見られて、いろんなこと言われて、見た人たちがまたやりたくなったり、全然やりたくなくなったり。そういうある種の表現の循環みたいなものに、すごく自分は意味というか…ウェットな言い方になるけど、豊かさとか、そういうものを感じていて。だから、なんだこれ?!サークルの中には当然鑑賞のターンというか要素が入ってるんですよね。この本がまさにそう。これを見てわーわー言うわけじゃないですか、「なんでこの人こんなんしてんやろね」とか言いながら盛り上がったり。それはまさに蔵多さんが対話型鑑賞でやってることと全くおんなじことを本でやってる。で、それは当然、そこだけで完結しないんですよね。それは表現を引き出す、表現が生まれるための材料になるし。
─── はい。
岩淵:だから、鑑賞だけでは成立しないというか、自分の中ではそういうイメージなんですよ。だからこそずっと、表現と鑑賞を地続きにするとか、往復するみたいな言い方をしていて。自分がたまたま、たまたまそういう機会に恵まれて、ある種の所作を身につけたので、そういうことが出来て良かったなっていう気持ちがあるんですよ。見て面白くて「ああ、それでやろう!」って思ったり、それを誰かに見せて「うわぁ、見せんかったらよかった」って思ったり。そういう循環が自分を自由にしたような実感があって。だから鑑賞教育っていうことで言えば、その全体…表現とか、アートとか、美術とか、何でもいいんですけど、そこで享受できる喜びの一つの側面でしかない。それだけで実は完結しないのではないか、と思っていたりしますかね。
─── なるほど。
岩淵:だから鑑賞することと、表現することが、もっとセットであればいいのになあ、っていうふうには思います。まあ知らないだけなんですけどね(笑)。
水田:知らないだけっていうのは?
岩淵:いやだからその、鑑賞教育とか、受けたことないし(笑)。
水田:まあ、なかったですよね。あまり意識されなかった。
岩淵:例えば、僕らが学校で経済の概念を習うと「なんかそういうのがあるらしい」って思うけど。まああんまりピンと来なくって。で、その僕らが社会に出て、バイトしてお金もらって、そのお金で服買って、ちょっと貯金して。そういういろんなお金の回し方・使い方みたいなことの一通りを経験してはじめて僕らの中での経済っていう概念が立体的に立ち上がる感じがあるじゃないですか。どんどんお給料振り込まれても、親から金バンバンもらっても全然それはわかんないんすよ。自分で全部まわしてから、はじめてわかるみたいなとこがあって。それって学校っていう仕組みの中では教えれへんのちゃうかなっていう気がするんですよね。昭和のおっさんみたいな話になるんですけど、「街場で教えてもらう」的なね。
─── うん(笑)。
岩淵:カリキュラム化することで断片しか教えられないとなっていくうちに、「そもそも美術が大事なのか」っていう話もあるじゃないですか。僕は「+〇++〇」の最初のコンセプト、出来てから5年くらい経つけど、やっぱりいいコンセプトやなって今だに思うんすよ、あれ。
─── 「+〇++〇」のコンセプト?
岩淵:作る、見つける…あと何やっけ?
水田:「つくる、みつける、たのしむ、くらす。」。
岩淵:そうそう、だからすごい立体的で、なんかここにはそういう目に見えるところにプレーヤーがいるって話じゃないですか。で、まあだからそれこそ何?こう、いろんな人がいるわけじゃないですか。蔵多さんみたいな人がいれば、モリテツヤくん[5]みたいな人がいて、蛇谷みたいな人もいて。そういう人たちはアーティストではないけど、その人たちの中にいて教えてもらえることって、美術教育は勝てますかね?っていう気はするんすよね(笑)。
─── はははは(笑)。
岩淵:遥かにそっちの方が豊かなような気がするし、美術が何かの入り口、世界を知るための一つのきっかけだとしたら、こんなに身近に世界があるのにな、みたいな気もするんですよね。だから別に美術自体が重要じゃないような気もする。好き嫌いはありますよ。僕はすごく好きだし、ある種のノリとして好きですけど。それが社会の何かを知るための入り口であったり、メタファーみたいなものだとしたら…まあ、よくある話ですよね。だからほんま、「+〇++〇」のあの…ね。「つくって」ってあれ、出てこないんですけど。
水田:「つくる、みつける、たのしむ、くらす。」です。
岩淵:「つくる、みつける、たのしむ、くらす。」でしょう。いやもう、ほんと素晴らしいですよ。
水田:最初は「つくる、たのしむ、くらす。」だったんですよ。で「みつける」も入れんといけん、って言って入れた気がする。
岩淵:うん。だから「つくる」は表現で、「みつける」は鑑賞でしょ?
─── ほんとだ!
水田:そう!表現、鑑賞ですね。「たのしむ」は…幸せになるっていうことですよね。
岩淵:そんなにばっくりでいいの?(笑)。
水田:幸せを追求するという意味ですね(笑)。
岩淵:それが「くらす」っていうものの中にあるっていう。
水田:人生ですね、「くらす」はね。
─── 最終的に「+〇++〇」にすべてがある。
岩淵:いやでもほんと、鳥取って、そういう人たちが目に見える距離にいてアクセスできる。「もう、別にアーティストとか全然いらんやんここ」みたいな、気持ちにもなるんですよね(笑)。こんな色々教えてくれる奴おんねや、みたいな。
水田:(笑)。
岩淵:でも翻って、じゃあ実際のところ、美術に出来ることって何よ?っていうのは、面白いお題というか。
─── うんうん。
岩淵:その一つの考え方として、僕はなんだこれ?!サークルをやってるつもりではありますけどね。
─── なんだこれ?!サークルとっとりとして、今後やっていくこととかありますか?やっとサークル活動が始まったところだと思うんですけど。
岩淵:とりあえず、今はまだ実際走り出したばっかりなので、とにかく続いていくといいな、っていう感じですよね。そこに人が付いてきたら、機能は絶対に後付けでも付いてくるので。表現がテーマになっているので、やっぱり独特な場所というかね。そこでしかやっぱり起きないコミュニケーションみたいなものがあったり、それを必要としてる子たちが集まってきたりする場所になると思うんで。続けることで人が来やすくなって、そこが安心して表現できたり、受け止められる場所になったら、そこから良い表現も出てくると思うんですよ。
水田:そうですね。私も、続けるっていうのは今一番の課題なので。岩淵さんが、サークルをやる上で「振り返ってみてどうだったか、これはなんだこれ?!だったかどうかを振り返る時間が必要だよね」って言って下さっているんですけど。まだ、出てきたものを受け止めるまでで、それを見てどこが「なんだこれ?!」かを言いあえる状況にはまだないな、みたいな感じも少しある。
岩淵:いろんな受け止め方はあると思うんすけどね。だって、現状めっちゃ不便なわけじゃないですか(笑)。あそこ、紐がいっぱいになってて。それを受け止めるっていうのかどうかわからないけど。やりっぱなしが良くないなっていう感じかな。
水田:うん。
岩淵:別にあそこで誕生日会とかやったらいいじゃないですか。
水田:やりますよ。
─── 紐の中で。
水田:あの状態で打ち合わせとかしてますからね。「すいませんね〜」とかいいながら(笑)。
岩淵:いやでもそういうのが面白いけどねえ。
─── うんうん。それこそ「なんだこれ?!」ですよね、 本当にね。
水田:大真面目にね(笑) 。